ストーリーを分析してみた

世にあるストーリーコンテンツを、独自の見解で分析していきます

オトナ帝国の逆襲〜人生の積み重ねが、生きる希望になる〜

劇場版クレヨンしんちゃんの中でも、名作として高く評価されている『オトナ帝国の逆襲』。

今回はこちらについて、作品が内包するメッセージを紐解いていきましょう。

 

ストーリーが暗示する葛藤

作品は、20世紀博によって開かれた万博のシーンから始まります。(これは、1970年に開催された日本万国博覧会がモデルとされています。)

万博では、大人たちが昔を懐かしむ仕掛けが数多くなされており、彼らを虜にしていきます。

やがて、『匂い』によって洗脳された大人たちは子供を置き去りにし、オトナ帝国を形成します。

そしてしんのすけ達は、両親を現実世界に連れ戻すために奮闘する。

このストーリーが提示しているのは、大人達が抱く、対立する2つの感情と、その狭間にある葛藤です。

作中序盤で描かれる、子供時代を愛しく思う感情。

一方で、作中後半からは、積み重ねた日々によって生じる日常や未来を大切に思う感情が色濃く描かれています。

2つの間で揺れ動く大人達の心情を、ストーリーという形で見事に表現しているのです。

 

昔を懐かしむ気持ちは、子供時代に対する憧れから生まれる

上記の2つについて、個別に見ていきましょう。

まず、昔を懐かしむ心情から。

これは、序盤の万博でのシーンや、アナログで溢れる街並み、それに憧れる大人達、という形で描かれています。

日本万国博覧会を下書きにしているということもあり、高度経済成長時のコンテンツが多く描かれている、というのも特徴的です。

ところが、高度経済成長時を知らない僕のような世代でも、これらのシーンから昔を懐かしむ感情が誘発されます。

これは、単に懐かしいコンテンツを描いているだけでなく、そのベクトルを子供時代に向けているからだと考えられます。

たとえば僕は、1996年生まれだから、高度経済成長時のコンテンツに対して直接的には懐かしさを感じない。

だけど、子供時代を懐かしむ大人達の姿を見て、自分の幼少期を懐かしいと感じる心情が誘発されるのです。

子供時代というのは、自由なものです。

誰にも邪魔されず、好奇心の赴くまま、自分のやりたいことができる。

社会的体裁や世間といったことを考える必要がなく、毎日楽しむことだけを考えれば良い。

親を亡くしている人にとっては、無償の愛情を傾けてくれる両親の存在も、子供時代への憧れに起因しているといえるでしょう。

 

屈指の名シーンが伝えるメッセージとは

子供時代への憧れが肥大化することで、劇中の大人達は幼児退行し、閉ざされた世界へ連れ去られてしまいます。

その世界では時間は止まり、永遠の20世紀が具現化されています。

『進歩を止めた世界』というのも、いずれ考察したいテーマではあるのですが、ここでは次に進んで、思い出、という概念について考えていきましょう。

さて、作中後半では、子供達(かすかべ防衛隊)が、大人達を現実に連れ戻すために奮闘します。

大人達が『昔を懐かしむ存在』として描かれているのに対し、子供達は『未来を夢見る象徴』として描かれていますね。

懐かしいという感情が分からない子供達は、未来への希望を武器に、イエスタディ・ワンスモア(20世紀博を作り出した集団)に戦いを挑みます。

過去への羨望か、未来への希望か。

この戦いに終止符を打ったのは、大人達が潜在的に抱く『思い出』でした。

これは、クレヨンしんちゃん史上、屈指の名場面である『ひろしの回想シーン』を通して描かれています。

https://youtu.be/RB71guGMoIY

何不自由なく、両親の愛情を受けて育った子供時代。

そこから成長していくにつれて、様々な出来事や出会いに遭遇します。

それらは楽しいことばかりではなく、辛く苦しい経験ももちろんあるでしょう。

だけど、それがあるからこそ、様々な出来事が思い出として、1人の人間に蓄積されていきます。

思い出は、過去に閉じこもるだけでは決して得ることのできない、光り輝く宝物です。

そして、思い出の先に現在の生活があり、日常がある。ひろしの場合は、『家族』こそ、思い出の先にある日常だったのです。

 

作品を通して描かれたメッセージ

現実は楽しいことばかりではない。

時には目を覆いたくなるような、辛い出来事だって起こります。

そうした時、子供時代を羨ましく思う気持ちは、誰にだってあると思います。

だけど、過去の積み重ねなくして、現在の生活はないのです。

苦しい経験があってこそ、喜ばしい出来事は一生の思い出として、光り輝きます。

そうした思い出の先にある日常は、かけがえのないものだ。

この作品からは、上のようなメッセージが感じられます。

言の葉の庭 〜孤独な2人が交わる世界〜

映画『言の葉の庭』は、映画監督である新海誠監督が原作から手掛けたアニメーション作品です。

本編は40分と短いですが、それ以上に感じさせる内容の深さがあります。

さっそく、『言の葉の庭』のストーリーについて見ていきましょう!

 

メインの登場人物は2人

言の葉の庭』に登場する人物は2人。

高校生の秋月孝雄と、その高校で古文の教師を務める雪野百香里。

ただし、2人は同じ高校の教師と生徒という関係性でありながら、面識はありません。

そんな2人ですが、『雨』というキーワードによって、出会い、お互いを知っていきます。

 

孝雄と雪野の共通点

お互い面識のない2人ですが、ストーリーが進行していくうちに、ある共通点が見えてきます。

それは、今ある現実を直視していない、言い換えれば、現実を受け入れていない、という点です。

孝雄は、家庭環境の影響もあってか、周囲より大人びた人物として描かれています。(そもそも、劇中で1人語りをされるためには、ある程度の大人びた感情が必要ですが)

孝雄は、高校生活をひどく子供じみた場所だと卑下している。そして、靴職人になって靴を作る、という夢を抱くことで、現実から抜け出して、違う世界に行くことに憧れています。

孝雄は、大人にならなければならないと焦っているのです。

一方、教師である雪野も、現実から目を背けて公園でお酒を飲んでいます。

雪野の場合は、辛い現実に耐えられなくなった結果、自分を失い、現実から1人宙に浮いた状態になってしまった。

『私、まだ大丈夫かな?』という劇中のセリフが印象的なように、居場所を失い、壊れてしまう一歩手前を彷徨っているのです。

『現実を受け入れられていない』という2人の心情は、見る側を惹きつける1つのポイントとなっています。

多くの人は、多かれ少なかれ、現実に不満を抱いていると思います。

そうした心情、日々のストレスを、2人に重ね合わせて見ることができるからです。

さて、『現実を受け入れていない』2人ですが、『雨』という自然現象によって出会い、心を寄せていくこととなります。

 

『雨』というキーワードによって生まれる作品的魅力

孝雄は、雨の日の午前中は学校を休む、というルールのもと、公園に足を運びます。

『雨』というキーワードが、雪野と孝雄を出会わせるのです。

ここが、新海監督のさすがといえる点というか、秀逸だと思うシチュエーションでもあります。

ストーリーを進行させるためには、主人公とキーパーソンを、何かのキッカケに出会わせる必要があります。

話が始まってから、誰とも出会わず自己完結するような話は、滅多に存在しませんよね。

誰かと出会い、心情や状態に変化を生じさせる。それが、ストーリーコンテンツの醍醐味でもあります。

そして、この『出会う』という出来事にどれだけ気を遣えるか、というのも、その作品を左右する重要な要素です。

ここが月並みだと、作品全体が一気にツマラナイものになってしまう。

その点、『言の葉の庭』では、出会いのキッカケを『雨』にすることで、さまざまな効果を生み出しています。

まず、『雨』を表現する美しい描写。(ここでは、映画的な描写のことを指します)

本作の魅力となっている美しい描写も、『雨』を主題に持ってきてこそ成立するものです。

また、『雨』というのは本来、人の心を沈ませるものですが、孝雄と雪野は『雨』が降ると妙に明るくなる。

この、逆説的な2人の心情が、現実から抜け出した2人だけの世界、を表現するのに一役買っています。

 

2人だけの世界で心を寄せ合う

新宿御苑が2人だけの世界を形作っている点にも注目です。

2人は現実を離れ、その世界のひと時で心を寄せ合っていきます。

それぞれ現実があり、2人だけの世界がある。

共通項によって、2人の距離を表現しているのです。

また、この共通項を梅雨の時期に重ね合わせることで、ストーリーの起伏を巧みに生み出しています。

 

全体的なストーリーの流れ

出会い、親睦、決別があり、最後には2人の心が一致する。

ストーリーの流れとしては、比較的オーソドックスであるといえるでしょう。

2人の心の動きに着目すると、まず、出会ってからは順調にお互い惹かれあっていきます。

ところが、幸せだった2人の時間は、梅雨の終わりによって引き裂かれてしまいます。

孝雄は、雨という動機を失い公園に行きあぐねている。

一方、雪野は孤独と葛藤の夏を過ごす。

お互い、雨を願い会うことを願っているのですが、一夏を経てすれ違いが生じてしまいます。

そして、怒涛のラストシーン。

2人ははじめて、自分の心をさらけ出し、抱擁という形で一致するのです。

 

感想

男女の恋愛を描いていますが、その感情を最後まで直接的に描かないことが、この作品の特徴です。

近づいては離れる2人の心が、映画音楽も相まって、切なく描かれています。

しかし、最後にはハッピーエンドで終わることから、爽やかな後味を残しています。

作中に直接的な表現や、目に見える関係性の変化を描かなくても、男女の触れ合いを描ける点が、ストーリーを作る上で参考になります。